Space会員である皆さんの人生インタビューを隔週でお届け!今回は、自然を通じて人生に大切なことを学ぶ!スポーツメンタルコーチの加藤優輝さんにインタビュー。プロ選手を目指した過去…辛い経験を糧に、道を切り拓いていくストーリーに注目です。

 

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もくじ:ユウキさん人生インタビュー

    17年間のサッカー生活と引退

    消防士からコンディショニングコーチへの道

    スポーツメンタルコーチとして再びサッカー界へ!

    Spaceでアウトプッターに!100%の自分でいること。

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17年間のサッカー生活と引退

 

―よろしくお願いします。ユウキさんは今すでにスポーツトレーナーのお仕事をされていると伺いましたが、今はどのような活動をされていますか?

ユウキ:よろしくお願いします。本格的にスポーツメンタルコーチとしてやると決めたのが、ちょうど今年度に入ってからです。それより前までは、あるサッカーチームの専属のコーチをしていたんですね。これから本格的にこの道に挑戦していこうというところで、まだ始めたばっかりという感じです。

 

―メンタルコーチをする前までは、どんなキャリアだったのでしょう? 

 

ユウキ:もともと、6歳から始めたサッカーをプロになりたくてやっていました。高校が埼玉の浦和東高校というところで、大学は駿河台大学のサッカー部でした。ところが、プロを目指していた、大学4年のタイミングで燃え尽き症候群になってしまったんです。そのきっかけになったのが、プロのサッカー関係の方から「君の身長だと、プロは無理だね」というのを言われたことでした。僕、キーパーだったんですよ。身長が170cmしかなくて。身長は、自分では変えられないことですよね…変えられることだけにフォーカスしてずっとやってきた中で、最後の最後で変えられないことを言われてしまって、弾けたという感じですね。

小学校時代、フットサルの大会で優勝した写真。後列左から2番目がユウキさん。 小学校時代、フットサルの大会で優勝した時の写真(後列左から2番目)

 

―そのタイミングでの燃え尽き症候群ですか…。

 

ユウキ:それが最後の決め手で、それより少し前ぐらいから、なんかうすうす自分の中で、「もしかしたら無理なんじゃないかな?」みたいなのもあって。それで、その不安な感情が徐々に出てきちゃって、感情をごまかすためにさらに練習をする繰り返しでした。サッカーから離れて、練習していない時間になるとそのことばっかり考えちゃって、もう不安な気持ちばっかり出てきちゃうから、練習している時はそれを考えないで済むようにしていました。練習終わってもトレーニングジムに籠もり、本当は心も身体もけっこう疲労で休みたかったはずなのに、不安という感情を感じたくないがために運動しまくり、身体とかも疲れて、結局試合でもいいパフォーマンスができていませんでしたね。

 

―アスリートとして、つらい時期を経験されたんですね。

 

ユウキ:そうですね。相談できる人もあまりいなかったので。もうボールを蹴りたくなくなっちゃって、サッカーが嫌いになって、もうグランドも出たくないし、みたいな。それでサッカーを辞めちゃったんですよね、4年生の春リーグが終わった後、6月ぐらいだったと思います。通常、秋のリーグが終わって引退というかたちが多いですが、僕、キャプテンやっていたのに、そのタイミングで辞めさせていただくという…。まわりのチームメイトからも、僕はプロを目指してやっているというふうに見られていたので、驚かせたと思います。その春のリーグが終わったタイミングぐらいで「消防士を目指したいので辞めさせてください」ということを言ったんですね。消防の勉強をするからって。その当時は消防士になるのいいなぁと思っていたんですけれども、今振り返ると、サッカーから逃げたかったほうが強かったのかなと思いますね。ずっと昔から仲が良かった友人が誘ってくれたんですけれども、一緒に勉強していて。意外と消防士を目指している過程は、そこにエネルギーが注ぎ込めて、できたかなと思いますね。結果的に合格することができ、3年ほど消防士をやっていました。ただ、消防士になる過程の勉強期間中に、僕は1回颯人さんに会っているんです。大学2年ぐらいの時から、颯人さんのTwitterを見始めて。それで、いろいろとそういった言葉を見て自分の気持ちが高められることがありました。

大学時代のリーグ戦前の集合写真 大学時代。緑のキーパーユニフォームでリーグ戦にのぞむ。

 

颯人さんとお会いした時に言われたのが、「本当はまだサッカーやりたいんじゃないの?」と。最後の気持ちを確かめられた感じでしたね。心の中では「何言ってんだコイツ?」と思ってしまいましたけど(笑)最近その話を颯人さんにして、言われたのは、「おそらくだけど、それだけ自分の学生生活のほとんどを費やしてきたサッカーを手放す覚悟は本当にあるのかを確かめたかったんだよ」と。「それを辞めてでも消防士になりたいのかとか、そういう部分を考えるきっかけになったらいいなと思って言ったよ」と言われました。本当にサッカーなのかなとか。本当に消防なのかなと、すごく自分と向き合うきっかけになったと思います。

 

 

消防士からコンディショニングコーチへの道

 

17年間のサッカー生活は、ユウキさん自身も予期していない形で終わりを迎えることに。しかし、日々練習に励んでいたことで鍛えられた忍耐力は、次のステップへ進む活力となっていきます。

 

ユウキ:僕は22歳でサッカーを辞めて、大学も一緒に辞めたんですよ。あと卒論で卒業のタイミングで、マジでサッカーを消したくて辞めたんですね。消防が、政令指定都市以上だと、大卒程度の試験を受けて、それが受かれば同じように採用されるというのを募集要項で見て、それで勉強すればいいと思って辞めちゃったんですよね(笑)。あとはやっぱり、自分で何かやるって決めた時に、卒論とか、そういう消防の勉強にあんまり関わらないようなことにエネルギーを使うのがすごく自分で嫌で。その当時は関係ないって自分で決めつけちゃってたので、もしかしたら関係あったかもしれないんですけれども、でも自分はその時はそういうことを考えられるような人間じゃなかったので。

消防時代の仲間と。前列1番右がユウキさん。 消防士の仲間と(前列1番右)

 

―22歳の時、大変でしたね…。

 

ユウキ:そうですね(笑)。両親はめちゃくちゃ反対で、大学の友達も反対で、ゼミ、研究室の教授も反対で、みんな反対でした。結果的に、自分でいちばん今の状況から最短で消防士になるために必要だと思って辞めたんですけれども、その結果最短でなれたので、だからやっぱりそこはひとつ、自分の中での自信にはつながったかなとは思います。まわりがダメとかできないとか言っても、結局は自分次第でなんとでもなるというのは感じました。24歳で消防士になって、次にサッカーを仕事にするために、また勉強期間があったんですよね。トレーニングについてと、ちゃんとスポーツ医学的な根拠に基づいたトレーニングと、あと颯人さんのところでメンタルを勉強したという感じです。消防を辞めると決めた時に、身体とメンタルについて勉強したいと思って、調べ始めました。メンタルはもう颯人さんのところがあるというのは自分の中でわかっていたので、そこで勉強したいなというのは決めていて。それで、身体のことは、日本でいちばん有名なトレーニング機関でトレーナーの方がいるところを検索したら、「R-body project」という会社が出てきて、そこにアポイントを取って「勉強したいです」と、お願いした感じですね。コンディショニング系のトレーニングを指導していて、トレーニングジムの会員になりながら、ジムでやっているサービスを身につけるようなカリキュラムも一緒に受けていました。インプットとアウトプットが一貫してできる感じですね。

フィールドで選手を見つめるユウキさん。
コンディショニングコーチとして、選手を見るユウキさん。

 

―サッカーで仕事をするためのフィジカル面を学んだということですね?

 

ユウキ:どっちかというと、サッカーを仕事にしたいからそれを学ぶというよりかは、僕が燃え尽き症候群になっちゃった原因が、自己流でガシガシやったトレーニングと、メンタル的な部分の未熟さが絶対だなと思っていて。いろんな今までの出会いとかを辿っていけば、サッカーチームで仕事なんてすぐできた感じだったんですけれども、自分がダメになっちゃったところがクリアになってないと、僕と同じ選手が現れた時に、「気持ちわかる」しか言えないなぁと思って。そういう指導者にはなりたくないなぁって。自分と同じような選手が出ちゃうからということで、それをクリアにすることだけを考えた結果の勉強する場が、R-body projectと、颯人さんのところでした。だから、それを勉強すれば自分はサッカーチームで働けると思ってはやっていなかったです。ただ、自分がダメになっちゃった理由を知るために勉強していたという感じですね。

 

ー当時の自分がどういう状態になっていて、どうすべきだったのかを理解したかったということでしょうか。

 

ユウキ:そうですね。燃え尽き症候群になってしまった理由プラス、「プロになれなかったのは、本当に身長が原因なのかな?」というところを知りたくて。身長でダメだって言われたけれども、それは本当だったのかなみたいな。もっと他にやり方があったんじゃないかなとか思ったり。そもそも、1人の人から「その身長だと無理だよ」って言われて、あたかもそれがすべての答えだと自分で思い込んでしまったこと。今考えればプロになるなんて他にもやり方はいっぱいあって、例えば東南アジアとか、アジアのチームでキーパーとしてやるという方法もあっただろうし、もっといろんな選択肢があったんだけれども、自分の中では「Jリーグでやらないと」みたいなのが強くあったんです。

 

 

スポーツメンタルコーチとして再びサッカー界へ!

 

―プロと一言で言ってもグローバルで考えたら、いろんな幅があるんですね。R-body projectで学んだあとは、どうされたんでしょう?

 

ユウキ:学びながら、フィットネスジムに中途社員で入社していたんですよね。学んだことを仕事でもアウトプットしながらというのを同時進行でやっていました。「自分はこういうことやってます」みたいなのをSNSとかで発信をしていったら、たまたま、東南アジアのラオスでプロやってますっていう人が声をかけてくれて、「日本に帰るタイミングで身体を見てほしいです」って言われて、そこで初めてサッカー選手をサポートするっていうのが始まったという感じですね。そこからまた、同じくジムで自分が学んだことを実際にアウトプットしてっていうのを繰り返していったら、ある日突然、カレン・ロバートという選手がいるんですけれども、カレン・ロバートという選手から連絡が来て、「イギリスでサッカー挑戦するから、それに行くまでの間、身体を見てほしい」って言われて、サポートすることになったんですね。カレンがたまたま千葉でJリーグ参入を目指しているチームのオーナーもやっていて、彼の身体をサポートしていく中で、最後のほうになって「うちのチームでスタッフやらないか?」って言われて、サッカーが仕事になった感じです。

カレン・ロバートとトレーニング後に撮った一枚。 カレン・ロバート選手とトレーニング後に撮った一枚。

 

―すごい!ちなみに、それはなんというチームですか?

 

ユウキ:「房総ローヴァーズ木更津FC」っていう、木更津にあるサッカーチームで。その時は、コンディショニングコーチ、身体のコンディショニングコーチと、メンタルコーチと、キーパーコーチ、3つやっていました。中1から中3、高1から高3、トップチーム、大人を見ていて。カテゴリー3つ見させてもらっていて、いろんな経験はさせていただきましたね。それが今年の3月までですね。

 

房総ローヴァーズ木更津FCのTOPチーム。カップ戦で初タイトル! Jリーグ参入を目指して活動中! カップ戦で初タイトル! Jリーグ参入を目指して活動中!

 

Spaceで、アウトプッターに!100%の自分でいること。

 

―Spaceはどのように活用していますか?

 

ユウキ:基本的にはメンタルを主にですけれども、他の幅広い部分に関して学ばせていただいて、それを今後、自分がサポートするアスリートにつなげていきたいなという部分が大きいです。学んだことを、このSpace内でまずアウトプットして、より身につけたいなというのもあるし、あとは普通にSpaceにいるメンバーの方たちと雑談的な感じでやりとりするのもすごく楽しいです。実はもともと僕、Spaceは超幽霊会員だったんですよ。コロナを機に自分のことを1回整理したり、手放したりしていて、Spaceを断捨離リストに入れていたんです。自分の性格や身体も整えて、運動量も見直しました。周囲の人間関係も1回整理したり、テレビも捨てちゃって(笑)。颯人さんにも言ったんですけど、Spaceを手放すか手放さないか、と考えました。今まで自分的にはあまり居心地いい場所でもないからなというのも強かったんですけれども、そもそもSpace内で自分を100%出してないなと思って。自分を100%出してなきゃ、居心地よくなるわけないな、と。自分自身が縮こまって80%ぐらいでいたりしても、逆に120%くらい背伸びしていたとしても、それに合った仲間とか居場所しかできないから、結局自分にとって、しっくりくる場所って見つからないままだろうと思って。とりあえず100%出して、しっくりこなきゃ辞めようと思いました(笑)。それで、100%出していったら、前向きになりました。

 

―100%自分を出したことで、具体的に何が変わったんでしょう?

 

ユウキ:ありのままの自分でいると、ありのままの自分に対してのまわりの反応とが変わってきました。自分のことをさらけ出せば出すほど、例えば颯人さんにキャンプに誘われたりとかもして、いろいろと関係性が深くなった感じがありますね。ブログも書くようになって。ブログで「自分は100%でいます」みたいなことを宣言しちゃったんですよ。それで、「合わなかったら辞めます」みたいな感じのを書いた気がするな、ははは(笑)。

 

自分のありのままで行くって決めたのが、8月に長野の上高地に1人で旅をして、その1人旅を通していろいろ感じた部分があって、っていうのがあります。自然がすごいところに行っていて。それで、なかなか自分と向き合う時間も作れなかったので、そこで自分と向き合ったりする中で感じるものがあって。それで、そういう偽って生きるのは手放そうと思って。

み
房総ローヴァーズ木更津FC時代、コーチングスタッフに向けて、選手のメンタル面のアプローチを説明するユウキさん。

 

 

―素敵な考えですね。Spaceを有効的に活用するようになって、自分の中でのメンタルや生活習慣の変化はありましたか?

 

ユウキ:生活習慣は、けっこう自分的にはすごく意識していた部分はあったので、そんなに変化はないなという感じなんですけれども、学ぶ時間が増えたというか。性格的にも少し変わったかな。颯人さんとかが上げてくれるコンテンツをアウトプットすると、アウトプットの中のわからない言葉とかが出てくるんですよね。その単語をそのまま並べた状態でアウトプットするのはすごい個人的に嫌で、わからない言葉を調べて、それも書いた上でアウトプットするみたいなのが習慣化してきて、そうすると自然と自分の知識が増えていく感じですね。

皆さんの発信は、たぶん僕、全部見ていると思います。基本的に、上がってくるブログほとんどコメントしたりとか。あと、颯人さんのラジオは、全部朝イチに聴いて、聴いたらそのまま自分でまとめて、自分のつぶやきみたいなところにアウトプットするみたいな習慣にしています。1日1回はそういう感じで何かやっているかなぁと思います。あとは、日の出を見ようという。颯人さんが日の出を見ているというのを聞いて、それをすることによって得る効果みたいなのもいろいろ見て。でも、実際自分でやって感じないと人に勧められないので。僕は朝日を見るプラス、一緒に走るという感じで、それを今朝やっている感じですね。午前中からやっぱり、クリエイティブな作業とかをすると、文章書いたりとかはすごくはかどりますね。すごくはかどる感覚はあります。頭が冴えているというか。あとはやっぱり、1日終わる時の充実感が違うなって。あとは、寝る時間と起きる時間というのも自分の中で設定しているので、より時間の使い方が効率的になったというか、「この時間までにこういうことを終わらせておきたい」みたいな。ダラダラしちゃう部分が減ってきたなと思います。


 

―ユウキさんがアウトプットされる頻度というのは、毎日ですか?

 

ユウキ:はい、おそらく。まず基本的にラジオは全部アウトプットしていて、あとはその自分が参加したイベントもなるべく早い時間で、24時間以内にアウトプットできるようにしている感じですね。あとは別で自分で学んだことで、誰かのためになりそうなことがあったらそれもアウトプットしています。もちろん自分のためにアウトプットしているんですけれども、その「自分のため」が「Spaceのため」にもなったらいいなと思っています。いい意味で循環しているなぁって感じますね。

 

―今後Spaceで何かやっていきたいことはありますか?

 

ユウキ:そうですね。「誰もが心の声に正直になって生きられるような世界にしたい」というのが、僕の人生のテーマになるので、そこにつながるようなことを何かSpaceでできたらいいなぁと思いますね。あとはやっぱり、今まで自分が何かを目指すとなった時に、消防士を目指した時もそうだし、プロを目指していた時もそうだし、消防を辞めてもう1回サッカーを仕事にしたいといった時もそうだし、やっぱり否定する人っていうのは絶対にいるんですよね。ドリームキラーじゃないですけど。そういう人たちの声で、踏み出したいけれども踏み出せない人とか、本当はこういうことやりたいけど、「でも、社会はこうだから」「常識的にはこうだから」「普通はやらないから」とか、そういう誰が作ったかわからない常識で身動き取れない人を少しでも変えられるようなきっかけになる何かをやりたいなというのはすごくあります。それがメンタルコーチというのも、1つの自分なりの術である、という感じですね。

 

ーなるほど。本当に、誰が作ったかわからない常識にとらわれることって、多々あるように感じます。今回は、お話しいただき、ありがとうございました。