プロスポーツメンタルコーチの増田良子です。隔月で「親」についてのコンテンツを配信させていただいています。

 今回は「普通」とは、です。無意識に「普通○○だよね」と言っていませんか?「普通」って何なのかについて、お伝えしていきたいと思います。
                     

■どんなときに「普通」という言葉を耳にしますか?

 実は、私の身近に「普通○○だよね」という人がいます。(笑)
 過去に、何度も「普通こうするよね?」と言われました。例えば、ドーンと大皿に盛って出した副菜を見て「普通小さい器にそれぞれ分を盛り付けるよね?」とか、肉料理と一緒に魚のおかずを出したら、「普通はこういう組み合わせしないよね」とか。
 「普通ってなに(笑)」って、当時の私はイラっとしました。そんなある時、お味噌汁の具材が何もなかったので、ひき肉と少しだけ残っていた玉ねぎでお味噌汁を作りました。「普通、味噌汁にひき肉なんて入れないよね?」と言われ、じゃあ食べなきゃいいって思って、やはりイラっとしたわけです。


 それから数年後、お店で出してもらったお味噌汁がすごく美味しかったってことで、作ってくれたんです。そしたら、な、な、なんと!!!ひき肉のお味噌汁ではありませんか!その時の私は、もう呆れて何も言えませんでした。(今ではもう、ただのネタでしかないですけどね)

 つまり、「普通」というのは、その人が育った環境や、経験してきた物事によって作られているということです。自分が今まで一度もひき肉のお味噌汁を飲んだことがなければ、「普通ではない」って判断に繋がるのです。

 そういえば今の家に越してきて間もなく、ご近所さんから「○○さん(共通の知人)って、夕方に掃除機かけるんだってー!普通じゃないよね」と言われました。彼女は掃除は朝するものって家庭で育ってきていて、朝掃除をすることが普通でした。いや、私の母も午前中に掃除機をかける人でしたが、私自身は、気になったときにかければいいんじゃね?というスタンス。夜8時以降とか、ご近所迷惑になるような時間でなければ、いつでもいいでしょうって思っています。共働きも増えている中で、帰ってきてから掃除機かける人もいると思います。


 皆さんはどんな時に「普通」という言葉を耳にしますか?
 また、どんな時に「普通」という言葉を使っていますか?


■子育てにおける「普通」

 「普通に育ってくれればいい」
 こんな言葉を聞くことがあります。おそらく、多くを望んではいない、健康でいてくれれば、何か偉業を達成するなんてことはなくてもいいって気持ちで発せられる言葉なんだと思います。
 ところが、成長していくにつれて、さらにいろんな「普通」が日常に入り込んできます。

 たとえば何回も忘れ物を繰り返すと「普通確認するよね?」とか、「普通は3回同じ間違えは繰り返さないようにするよね?」とか親が言っちゃったりするんです。この「普通」は、親にとっては「前回忘れ物したから次からは忘れ物しないように、ものすごく入念にチェックするのが当たり前」という感覚の「普通」なのかもしれません。


 ですが、子どもにとっては、「前回体操服を忘れたからもう忘れないようにちゃんとチェックした、でも今日は絵具セットの筆を持っていくのを忘れた」だった時に、「普通」とは思えないかもしれません。「普通」と思えるだけの経験値が足りていないのです。

 お年頃になると、今度は子どもが使い始めます。
 母「今日の学校どうだったー?」
 子「ふつー」

 この時の普通は、おそらくその子にとって「いつも通りで変わったことは何一つない」でしょう。おそらく。(笑)
 「べつに」って答えるのと同じレベルの「ふつー」という回答です。ただしこの「ふつー」にも、子どもそれぞれによって基準が違います。
 先生に怒られることが日常になっている子の「ふつー」と、ほとんど誰とも会話しないまま帰宅する子の「ふつー」とでは、全然違いますよね。
 この時の「ふつー」という回答を回避するためには、親の問いかけ方が大切になります。

→参考まで「質問力をあげようって話」noteより


 皆さんの家庭には基準のわからない「普通」があふれていませんか?いい機会なので、今一度、考えるきっかけにしてくださいね。

■親の「普通」が奪う未来について

 ここまでざっくりと見てきただけでもわかる通り、「普通」とは人それぞれの経験値に基づく、「正確な基準値を持たないものさし」です。家にある食材でお味噌汁を作る方法を考えるのが「普通」な私と、お店で出されたり、過去に食したことがあるお味噌汁以外は「普通ではない」と考える人と、まるで「普通」の基準が違うように、千差万別、様々な基準で世の中は成り立っています。

 ここで考えていただきたいことがあります。
 親の経験値に基づいた「普通」のものさしで子どもの人生を計ったときに、それは果たして正しい判断が出来るのだろうか、ということです。


① 親の経験値のみに基づいた「普通」

 当たり前ですが、親は子どもよりも絶対数の経験値があります。生きている年数が長いのでそれは子どもがある程度の年齢になるまでは覆せないものです。
 そしてその経験値はたった一人の人間の経験値なので、非常に狭い世界の経験値になります。

 ずっとスポーツ万能で人生を歩んできた親にとっては、勉強ばっかりする子どもの気持ちがわかりづらいかもしれない。

 逆にすごく勉強を頑張ってきた親にとっては、勉強よりもスポーツに熱中する子どもの気持ちがわかりづらいかもしれない。

 ゲームなんて人をダメにする!!って考えの家庭で育った親にとっては、e-sportsで世界を目指すって努力していることが全く理解できないかもしれない。

 芸能界を目指すことを否定された経験のある親は、子どもがテレビに出たいって言ったら「そんなの無理だ」って挑戦する機会を与える前に言ってしまうかもしれない。

 YouTubeなんてない時代に育った親にとっては、YouTuberがどんなに大変かなんてことも知らずに、「好きなことだけやって金を稼げるなんて思うな」って言うかもしれない。

 つまり、親が知っている、経験したことのある「失敗しない道」以外は、「普通」ではないってなってしまうんです。「普通」でいい、これは、子どもたちのあらゆる可能性を潰すことになりかねません。

② 「普通」のものさしを破壊する

 毎回お話ししている通り、子どもと親は別の人間です。親の「普通」は子どもの「普通」とは違う可能性があります。母親の「普通」と父親の「普通」も、きっとそれぞれ違います。


 親のものさしを押し付けることで未来を奪う可能性があるくらいなら、親のものさしは壊してしまいましょう。
 なんの基準も持たない「普通」に囚われることには意味がありません。子どもがやりたいと思ったこと、なりたいと思った未来を、親の「普通」で諦めさせることは、もったいないな、と思います。

 さて、今回は「普通」とは、について書かせていただきました。意外と無意識のうちに「普通」だと思っていたことに目を向ける機会にしていただけたらと思います。
                     

増田良子(ますだりょうこ)
一般社団法人スポーツメンタルコーチ協会公認プロスポーツメンタルコーチ。
主に、アスリートの子どもを持つ保護者や、子育てに奮闘中のお母さんへのコーチングを行っています。「ママの心を軽くするランチ会」を月に1度開催。オンラインサロンspaceでもママ友会を開催しています。